スペシャルインタビュー

京都で育まれた喫茶文化を「暮らしの止まり木」に。/喫茶マドラグ・山﨑三四郎裕宗さん

京都地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅から歩いて9分程の場所にある「喫茶マドラグ」。1963(昭和38)年創業から50年近くにわたってこの地で愛された「喫茶セブン」の後を引き継ぐ形で、2011(平成23)年にオープンした。昔の雰囲気を残しながら、新しい喫茶文化を育む。そんな同店の店主・山﨑三四郎裕宗(やまざきさんしろうひろたか)さんを訪ね、開業までの経緯や、京都で喫茶店という文化を「継承」することの意味、烏丸御池周辺の魅力などについてお話を伺った。

「喫茶マドラグ」の外観
「喫茶マドラグ」の外観
喫茶 マドラグ 店主の山﨑三四郎裕宗さん
喫茶 マドラグ 店主の山﨑三四郎裕宗さん

名店「喫茶セブン」を受け継ぐ形でスタート

――開業までの経緯をお聞かせいただけますか。

山﨑さん:「喫茶マドラグ」は2011(平成23)年の9月にオープンしました。それ以前は、京都でカフェを7店舗ほど運営している会社で支配人をしていました。その仕事をする中で、「カフェ」というものが多様化しすぎて、お茶をする、人と話をする、という「喫茶の本質」のようなものが曖昧になっている、と感じていました。

実は喫茶店は妻のライフワークで、何か店を始めるなら喫茶がしたい、と話しをしていて物件を探し始めました。前職で町家や古い商店街の再生に携わっていたことがあり、「喫茶セブン」という名前の喫茶店がマスターが他界されて放置されたままだったことを知ったんです。当時、妻がこんな店がやりたいとスケッチしていた絵がありまして、それがこのお店に入ったときの画角にぴったりはまったんです。それで、「ここで喫茶店をやるしかないな」という話になり、その日のうちに契約して、喫茶店運営がスタートしました。
元々はコーヒーだけで、食事は持ち込みの店にしようと思っていましたが、私が前職を辞職した時に「マドラグの運営に混ぜて欲しい」と妻に話をしたところ、しぶしぶ混ぜてくれたような感じで(笑)。それから夫婦で店を切り盛りするようになり、食事も提供するようになりました。

今も「喫茶セブン」の趣が残る
今も「喫茶セブン」の趣が残る

――「la madrague(マドラグ)」という店名の由来を教えてください。

山﨑さん:妻が好きだったフランスの女優ブリジット・バルドーが、所有していた南フランスの別荘の名前なんです。「la madrague」はサン・トロペという港町の古い名称で、彼女は都会での暮らしに疲れた時、よく「マドラグへ帰りたい」と言っていたそうです。この店もそんな風に思ってもらえる店にしたいと思って、名付けました。

思いを込めた店名「la madrague(マドラグ)」の看板
思いを込めた店名「la madrague(マドラグ)」の看板

――お店のコンセプトや、内装のこだわりを教えてください。

山崎さん:「喫茶セブン」の雰囲気を6割残して、新しいものを4割加えるというかたちでお店を改装しようと話し合いました。「セブン」は常連さんで成り立っているお店だったので、喫茶店の公共性を取り戻すことをコンセプトにしました。レトロでいいなという部分と、今の時代には少し合わないという部分があったので、バランスよく手直しした感じです。

ガラス戸だった部分をすべて外して本棚にしたり、カーテンを外して明るくしたり。昔から来てくださっているお客様も違和感なくご利用いただけるように、そして若い世代にも入ってもらいやすいようにしました。

吹き抜けの開放感のある店内
吹き抜けの開放感のある店内

洋食店コロナの「玉子サンド」を継承することになったが転機に

―開店してすぐ営業は起動に乗ったのでしょうか?

山崎さん:開店して1年くらいはめちゃくちゃ暇でした(笑)。暇でもいいか、と夫婦でゆっくりやっていましたね。変わった部分に対して意見を言ってくださる以前の常連さんもいましたので、その擦り合わせは少し大変だったところもありますが、「セブン」のマスターの人柄がとても良かったので、協力的な常連さんも多く、助けられました。

――徐々に名前が拡がっていったと思いますが何かきっかけはありましたか?

山﨑さん:僕たちが古い喫茶店を改装して営業していることをテレビ番組が特集してくださったんです。そこから雑誌などでも取り上げられるようになりました。

それから、開店から1年半後くらい経ったときに、京都で活動されているフリーペーパー「音読(おとよみ)」さんの企画で、「最近閉店した洋食店コロナの名物だった玉子サンドイッチを、ぜひ喫茶セブンを継承しているマドラグに受け継いで欲しい」とのお話をいただき、再現したレシピの玉子サンドを提供することになったんです。最初は3カ月間限定で辞めるつもりだったのですが、年間掲載の雑誌で紹介されて辞めるに辞められなくなり、現在に至ります(笑)。
ただ、玉子サンドイッチはうちの名物ではありますが、あくまで「街の喫茶店」という形は崩したくないので、それだけの専門店のようにならないように、特別なものではなく、あくまでアイスコーヒーやナポリタンと同じ扱いです。

名店から受け継いだ「玉子サンド」が味わえる
名店から受け継いだ「玉子サンド」が味わえる

程よいレトロさと洗練された装飾での店内
程よいレトロさと洗練された装飾での店内

京都で育まれた喫茶文化を残していきたい

――「京都喫茶文化遺産チーム」という活動もされているそうですね。

山﨑さん:はい、「喫茶マドラグ」の開店と同時に立ち上げました。商業的なものではないので、ほとんど趣味ですね。喫茶店が好きな人が集まって、喫茶店を残そうとしているだけです。

京都は喫茶店が多い街です。ずっと真面目に経営されてた喫茶店が、経済的・体力的な理由で辞めてしまって、取り壊されて別のものになってしまう。それは仕方がないことですが「もったいないな」「悔しいな」と思うことが何度もありました。もし1軒でも、若い世代にバトンタッチして繋げていくことができたら、という思いで活動しています。喫茶店は儲かりませんから(笑)、お店に対する愛情が強くないとできない仕事です。そのお店が好きで通っていたとか、家が近いとか、お店との親和性がある人が引き継いでくれるのが一番いいと思います。

――現在、何か動いていることはありますか?

山﨑さん:大宮四条で40年ほど営業されていた「珈琲陣」を継いでほしいという話がありまして、同じ町内にコーヒーの焙煎をやっている僕の後輩が住んでいて、家族で「陣」にもよく通っていたので、お店の引継ぎを打診したら「やりたい」と言ってくれて。2021(令和3)年7月に「INADA COFFEE」としてオープンしました。

――「文化遺産」とあえて名前を付けているのには理由がありますか?

山﨑さん:どんな小さなものにも「文化」ってあると思うんです。そういう意味では、喫茶にも「文化」があると思っています。戦後からまだ70年、80年間だけの話ですが、銀座に日本で初めての喫茶店ができてから、多少なりとも喫茶の文化が育まれてきました。京都の喫茶店にも独自の文化があるんです。

ただ実は昭和50年くらいに、喫茶店の地位が落ちているんです。多様化しすぎて、喫茶店の立ち位置を見失ってしまったことなどが理由です。それから、喫茶店がどんどん淘汰されていって、今は純粋に喫茶店を経営してきたお店だけが残っています。そういう営業を続けてきたお店は残したいという思いがあります。マスターやママさんが、60代、70代というお店がとても多いので、20代~40代の人間が、そこを引き継いでいけたら、そしてまた次の世代にもバトンタッチできたら、喫茶店の地位が少しは昔に戻るかもしれないと考えています。

どんなときも入れる「喫茶の懐」と、自分が立ち続けることを大切に

――「喫茶マドラグ」で大切したいと思っていることは何ですか?

山﨑さん:これと言ってありません。ほかのお店よりもちょっとだけ量が多くて、ちょっとだけ安くて、ちょっとだけ居心地が良くて、衛生的で安全で、できるだけお客さん本位でありたい、と思っているだけです。

――お店に入ったときに、山崎さんのお客さんへの声かけに愛情を感じました。

山﨑さん:そう言っていただけるととてもうれしいですね。アクセスが良いわけではない、うちを選んでわざわざ来てくださったんですから、お客様に対してバイアス値を上げていかなければと思いますね。「コスパがいいよね」「雰囲気がいいよね」と一つでも思ってもらえたら。その積み重ねだけです。

――今後、このお店をどんな店にしていきたいか教えてください。

山﨑さん:大きなことは考えていません。ただ続けていけたらいいですね。喫茶店なので、大きくしようとも小さくしようとも思っていません。うちの会社は大きくなって関西で5店舗(三条京阪の「喫茶ガボール」、「藤井大丸店」、「神戸大丸店」、「大丸須磨店」)やっていますが、ここの本店に関しては、僕ができる範囲でここに立って、対応しています。自分のお店である以上、そこは大切にしなければという思いがあります。本店に行って、誰がやっている店なのか分からないのは、違うと思うんですね。テレビで見た人が作ってないやん、と思われたくありませんから。僕がここで真面目に作っているだけで、お店の価値が維持できると思っています。

――「喫茶店」とは、どのような存在だとお考えですか?

山﨑さん:「カフェ」は、例えば音楽や、北欧のインテリア、といったコンセプトを文化として発信して、それに共感した人がお店に来てくれます。一方「喫茶店」は、どんな局面であっても、どんな気分であっても入れるお店であるものだと思うんです。お腹が減っていても、友だちと話がしたくても、1人でスマホが見たくても、コーヒー一杯だけ飲みたくても入れるのが、僕が思う「喫茶の懐」。「カフェはピッチャー」なら「喫茶店はキャッチャー」です。
喫茶店は「暮らしの中の止まり木」のような存在であるべきと思っています。その止まり木の大きさができるだけ大きくて、安定していればいいですよね。

喫茶店は「暮らしの中、止まり木」のような存在
喫茶店は「暮らしの中、止まり木」のような存在
コーヒーは一杯からどうぞ。
コーヒーは一杯からどうぞ。

ついつい長居したくなる雰囲気
ついつい長居したくなる雰囲気

京都の中心・烏丸御池近く、一歩入れば静かな小路

――この地域や烏丸御池周辺の街の魅力を教えてください。

山﨑さん:烏丸から西、御池から北のエリアは落ち着いた雰囲気の印象ですね。ここは、住宅街と着物の問屋街です。

もともと「喫茶マドラグ」のある押小路通には、お店がほとんどなく「あんなところでお店やっても人きーひんで」とたくさんの人に言われましたが、おかげさまで今は近隣にもお店も増えて、「京都国際マンガミュージアム」から「二条城」までの間の道として、人通りが多くなりました。遊ぶ場所などは多くないですが、近くの「御金神社」があって、そこはお金が儲かるというご利益があるので、拝んだほうがいいですよと紹介しています。

――地域との交流などはいかがですか?

山﨑さん:近所に配達もしますし、町内会の活動にも参加しています。近所の方もお店に食べに来たり、持ちかえったり、よく利用してくださっています。お店同士の交流もありますよ。

「喫茶マドラグ」前の押小路通の街並み
「喫茶マドラグ」前の押小路通の街並み

――最後に…「三四郎裕崇」さんは本名ですか?

山﨑さん: はい、本名です。実家が福井県で海産物の問屋をやっていまして、「三四郎」は屋号なんです。20歳で襲名し、当主になりましたので「三四郎」がついています。名前を継承して、お店やメニューを継承しているので、今までのものを次の時代に残していく担い手のように言われることがあるんですが、自分自身はそんな高尚な思いはまったくありません。全てがたまたまです(笑)。

「継承」ってすこぶる面倒で大変です。イチから自分で新しいものを考えてやったり、ニューヨークで流行っているものを日本に持ってきたりするほうがラクだと思います。継承するなら、以前の印象より、少しでも良くなったものをお渡ししなければなりませんから。ただ、乗りかけた船なので、真面目に最後まで続けていきたいですね。

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