賀茂別雷神社(上賀茂神社) 権禰宜 藤木保誠さん インタビュー

地域のシンボルとして篤く守り継承されてきた「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」の歴史とは

1994(平成6)年にユネスコの世界遺産として登録された「古都京都の文化財」。これを構成する17ヶ所の寺社城郭の中で一番目に表記されるのが、京都市北区上賀茂にある「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」。上賀茂という地名も、この地が上賀茂神社の神領であったことに由来するという。京の三大祭のひとつである「葵祭(賀茂祭)」でも幅広く知られ、地元では信仰の対象として、あるいは地域のシンボルとして篤く守り継承されてきた神社だ。ここに権禰宜として奉職されている藤木保誠さんを訪ねて、神社の歴史や上賀茂の町の魅力などについてお話しをうかがった。

賀茂別雷命を祀り、上賀茂の地を守る

権禰宜 藤木保誠さん
権禰宜 藤木保誠さん

――「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」の由緒・由来について教えてください

さかのぼれば大和国(奈良)葛城から賀茂族(賀茂氏)が北上して山城の地にたどりついたことに始まります。賀茂族の長であった賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の娘である賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が、石川の瀬見の小川(賀茂川)で水浴びをしていたところ、上流に雷が落ちて塗りの矢が流れてきたので、それを持ち返り床の間に飾ったところご懐妊。生まれたのが賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)で、祖父である賀茂建角身命が「そなたの父親は誰なのか?」と問うたところ「天神(あまつかみ)なり」と答えたとされます。この賀茂別雷命が上賀茂神社の御祭神です。

二ノ鳥居
二ノ鳥居

――それを祀ったのが上賀茂神社のはじまりなのですね?

端的に説明するとそうなります。本来、降臨されるのは神社北側の神山(こうやま)だったのですが、神官が装束を纏って山を登るのも大変だったと。そこで山から木を引いてきて標にして里へお迎えしていたそうですが、後に衣食住を整えて迎えたのが現在の社殿の基で、天武天皇の御代であった678(天武天皇7)年に造営されたと言われています。その際に神山の木を立てていた名残りとして「立砂(盛砂)」がされるようになったようです。今も形が崩れてきたら整えるということをして保たれています。また賀茂玉依比売命は境内摂社である「片山御子神社(片岡社)」に、賀茂建角身命は境外摂社の「久我神社」に、それぞれ御祭神として祀られています。

神山の木を立てていた名残りとされる「立砂(盛砂)」
神山の木を立てていた名残りとされる「立砂(盛砂)」

――賀茂族の系譜は上賀茂でも続いているのでしょうか?

はい、現在社家として確認している家は約400軒あり、日本各地に住んでいます。実は私もその1人で、平安時代から上賀茂に住んでいると系図が残っています。ただ、私の曽祖父が九州の神社に宮司として奉職したので一度京都を離れ、祖父の代で再び戻りまして、「大田神社」(上賀茂神社の境外摂社で、国の天然記念物指定である境内のカキツバタ群落は平安時代からの名所とされる)に仕えました。私も生まれた時から大田神社に住んでいました。賀茂族は神官だけでなく、各職掌ごとに地域のために働いて、力を合わせて上賀茂という土地を守ってきたとされ、一体の田んぼへ水を流す権限や責任も負い、その技術から賀茂川の治水権も持ち、分配権を許されたと同時に決壊などの際には修復の義務も負っていたのだそうです。

葵祭をはじめとした人々に愛され、継承されてきた神事

「片山御子神社(片岡社)」に奉納された絵馬
「片山御子神社(片岡社)」に奉納された絵馬

――葵祭について教えていただけますか?

葵祭の起源は、6世紀のころに雨風で作物が実らないことに困り、厄災を祓おうとお祭りをしたら豊作になったことが始まりだと伝えられています。そして葵と桂を持ってお祀りをして神山の裾へ行き、神様をお迎えするという祭として定着したようです。葵祭が一般のお祭と異なる点に、行列の中に神様がおられない、ということが挙げられます。通常は神輿や鳳輦(ほうれん)に神様がお乗りになられます。ですが葵祭では、天皇陛下の遣いである勅使様が、上賀茂神社にお祭をしに来られる行列なのです。だから行列に神様はおられない。葵は文語で「あふひ」と書き、これは「会う霊(字は諸説あり)」、つまり神に会うの意です。

ならの小川沿いに結ばれたおみくじ
ならの小川沿いに結ばれたおみくじ

――勅使様がお越しになるお祭を勅祭というのですね?

そうです。しかし一般的な勅祭というのは、勅使様が参列されて、その神社の宮司が祭を行うのですが、葵祭は勅使様が祭事もなさいます。これは日本中で当神社と「石清水八幡宮」(八幡市)と「春日大社」(奈良市)の3社のみで行われていることで、「三勅祭」と呼ばれています。そして葵祭に際し大量に必要となる二葉葵の葉を調達するために、近年は近隣の学校と連携をしたり、静岡市の葵区や福井県鯖江市など、遠方からもご協力をいただいています。こうしたご縁もお祭がもたらすことと感謝しなくてはなりません。そして葵の茎で京都の室町で染めに挑戦したり、最近は新しい文化の派生も起こっています。世が世なら(徳川の紋であった)葵を染めに使うなどあってはならぬことでしょうが(笑)。

本殿へとつながる玉橋
本殿へとつながる玉橋

――曲水の宴や烏相撲についても少しお話を

「賀茂曲水宴」は4月の第2日曜日に行われています。こちらは1182(寿永元)年に神主重保が行ったことを起源にもつものです。ただし、現在の形になったのは1957(昭和32)年に作庭されてからのことで、戦後でまだ時期が見合わなかったこともあり続かず、1994(平成6)年の皇太子殿下のご成婚を機に継続開催されるようになったものです。一方、烏相撲は重陽の節句(9月9日)があり、その時分は稲が実を結ぶ時期。そこで「強い人がいるので、悪い人は入って来ないでくださいね」という意味を込めて神様にお力をお借りしようと相撲を奉納する行事で、これは嘉元年中行事という室町時代の文献にも残っていますので、永年継承されている行事です。

人々の誇りが繋ぐ、過去、現在、そして未来

鳥居の続く階段
鳥居の続く階段

――上賀茂でオススメのスポットを教えてください。

私は「二葉姫稲荷神社」前の見晴らしのよい場所をオススメします。この稲荷神社は、現在は「上賀茂神社」が管理をお手伝いしているのですが、元々は「神宮寺」というお寺があった場所で、後にそこにあった祠を守ろうと保存会の方が面倒を見てこられた神社です。京都市内を望む景色がよく、左手には大文字山も見え、天気がよければ生駒山(奈良県)も眺めることができます。神社の二の鳥居から歩いて数分で行ける立地で、「京都タワー」も見下ろす絶景。ご存知の通り京都はすり鉢状で、そのすり鉢の底に京都タワーがありますので、そのてっぺんは当神社の敷地より標高は低いんですよ。

――最後に地元である上賀茂という町の魅力をぜひ教えてください。

神社を中心に文化や農業なども脈々と受け継がれてきた歴史があり、伝統的建造物保存地区ですから、美しく落ち着きと趣がある町並みが残っている点が一番の誇りでしょうか。道路はアスファルトになりましたが、社家町にかかっている橋は一軒一軒すべて異なる味わい深いものです。また水を大切にしてきた文化も受け継がれていて、美しい川を守る行為と精神が、今も町全体に潤いをもたらしていると言えるでしょう。

権禰宜 藤木保誠さん
権禰宜 藤木保誠さん

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

権禰宜 藤木保誠さん
京都市北区上賀茂本山339
TEL:075-481-0011
URL:http://www.kamigamojinja.jp/
※この情報は2016(平成28)年5月時点のものです。