同志社大学 副学長 横川隆一教授 インタビュー

「同志社大学京田辺キャンパス」を中心とした、地域との連携により進むまちづくり

京都市の中心部から南に位置し、JRと近鉄が通り京都、大阪、奈良からもアクセスが便利な京田辺市。ここに関西屈指の総合大学である「同志社大学 京田辺キャンパス」がある。1986(昭和61)年の開校以来、地元と強い協力関係を成り立たせる同キャンパス。同校を訪ねて、副学長である横川隆一教授にお話を伺った。

副学長 横川隆一教授
副学長 横川隆一教授

大学に息づく新島襄の精神

――同志社大学の沿革、概要についてお教えください

横川副学長:1875(明治8)年に、新島襄がアメリカから西洋の民主的な教育を持ち帰り、日本初の私学として「同志社英学校」を開設したことが本学の始まりです。仏教文化が強い京都でキリスト教の学校がその時代に設立できたことは、創設者たちの強い思いを伺い知ることができます。ただし本学は当初から布教を目的とした学校ではなく、キリスト教の教えに基づいた「良心」の教育が理念となっています。そして1920(大正9)年の大学令により「同志社大学」となり、中学・高校、女子大学などの各校を設け、この京田辺キャンパスは1986(昭和61)年に開校しました。

新島襄と新島八重
新島襄と新島八重

――新島襄はどのような経緯で大学の前身である「同志社英学校」を創立するに至ったのでしょうか?

横川副学長:明治のはじめ、新島襄はいわば密航のような形でアメリカに渡りました。東洋の島国から若者が大国を訪れるということは、様々な困難や危険が予想できた時代のはずです。しかしそれを受け入れた度量はキリスト教の精神に基づくものだったのでしょう。アメリカで教育を受けた新島襄は、そこで優しさや思いやりに触れて、キリスト教に基づく教育の重要性を感じ、日本の将来にこの教育が必要だと考えるようになりました。そして寄付を集めて学校設立を実現したという流れです。エピソードのひとつに「2ドルの寄付」というものがあります。新島襄が「日本にキリスト教主義の学校をつくりたい」という大志を訴えたところ、スピーチに感動した農夫が帰りの汽車賃を「私は歩いて帰れますので、学校設立に役立ててください。」と2ドルを寄付してくれたという逸話があります。その他詳しい経緯などは、本学のホームページでもご覧いただけます。

同志社大学京田辺キャンパス
同志社大学京田辺キャンパス

――現在力を入れて行っている活動・取り組みがありましたらお教えください

横川副学長:創立150周年を迎える2025年に向けて、新島襄の遺志を受け継ぎつつ確かな未来へと前進するために、「VISION2025」を掲げて活動に取り組んでいます。その大きな柱は『教育』『学生支援』『国際』『研究開発』『入試』で、各セクションが協力をしながら推進しているところです。大学は学部ごとに独立している組織ですが、本学は他校に比べると他学部、他学科の先生同士が交わる機会も多く、文系・理系を問わず、学部を横断した連携が特長のひとつでもあります。これは地域など学外との協力についても同様です。

京田辺キャンパス周辺の街並み
京田辺キャンパス周辺の街並み

学外との連携により広がる、教育の場

――学内、学外との連携。具体的な例を伺えますでしょうか?

横川副学長:一例になりますが、入試では単純な正解か否か、という部分だけを採点せずに、受験生がどのような論理展開をしているのか、その理解度を採点するような出題があります。これは採点に膨大な労力を要するので大変なのですが、それこそ学部も学科の枠も超えて、大学の人員総力を挙げて複数のチェック体制を敷いて努めています。これは結果として他学部の先生と話すなどコミュニケーションの機会としても機能しています。

学外との連携も数多くあり、その多くは学部、学科、研究室・ゼミといった単位で行われています。「新田辺駅前商店街」の活性化に携わったケースもあります。また、「同志社山手」という、UR都市機構と連携して、まちづくりに参画するという大きなプロジェクトも行われています。「同志社山手」は、京都・大阪・奈良の三府県をまたぐ、約15,000haの地に広がる「けいはんな学研都市」(関西文化学術研究都市)に位置しており、「安心」「子育て・教育」「環境」の3つのコンセプトをベースに開発が進められています。学生がこの地区をフィールドとして、ソフト、ハードの両面から様々な「まちづくり」、「まちそだて」についての提案を行っており、UR都市機構と大学、 住民が一体となったまちづくりを進めています。

また、関西文化学術研究都市では、産官学の連携のもとで様々な研究や取り組みが行われており、近年では経済産業省の選定を受けて「けいはんなエコシティ次世代エネルギー・社会システム実証プロジェクト」が推し進められています。これらに限らず、培った研究の成果を教育に生かすという、より実践的な学びの場になっています。

同志社大学京田辺キャンパス
同志社大学京田辺キャンパス

――大学と地元地域とのつながりに関してはいかがでしょう?

横川副学長:地元の京田辺市、ならびに京田辺市民の方とはさまざまな接点を持ち、互いに成長できるよい関係にあるかと思います。本学が主催する「ヒューマンカレッジ」という市民講座が今年で25周年を迎えるのですが、京田辺市民を中心に毎回定員の600名近くの方にお越しいただいています。また京田辺キャンパスで行っている「同志社クローバー祭」は、「地域交流」のイベントとして、大勢の地元の方に楽しんでいただいています。逆に本学の学生にも学生時代を過ごす地域を知って、愛着や所縁をもってもらえるよう、大学としてもその契機作りや啓蒙活動に取り組んでいます。

また「ツアーオブジャパン」という自転車レースがあるのですが、全8戦中のセカンドステージが京田辺市と精華町を舞台に開かれています。そのオープニング・セレモニーにおけるセレモニー・ランを京田辺キャンパスで行っています。そして「全国小学生ハンドボール大会」が第1回から京田辺市で開催されており、こちらも本学の体育館(ディヴィス記念館)が使われています。京田辺キャンパスには理系のほか体育会系の学生も多いので、研究とスポーツが地域貢献・地元交流の両翼を担っているといえる状況です。

「同志社クローバー祭」の様子
「同志社クローバー祭」の様子

京田辺の街と共に歩む

――教育の場という観点から京田辺の町の魅力をお教えください

横川副学長:ご存知のとおり京都は歴史もあり、また学生の街として栄えています。こと京田辺においては、京都市内同様、歴史があり、また豊かな自然に恵まれていることに加え、交通アクセスが良い立地であることから、学びの環境としてはとてもよい場所であるといえると思います。京田辺キャンパス内にも「筒城宮址」といった歴史的なシンボルもあります。このように歴史のある街に総合大学を置かせてもらっているということは、もっとも古い文化に、もっとも新しい研究が融合していることだと感じています。そこで我々が注意しなくてはいけないのが、バランスを崩すことのないマッチングです。おかげさまで本学は、地元の皆さまに温かく受け入れていただいていると、とても感謝しています。

筒城宮址
筒城宮址

――大河ドラマ「八重の桜」では、大学も撮影に協力されたのでしょうか?

横川副学長:大学が持つ資料はすべて提供させていただき、新島邸などは細かく採寸をして、スタジオのセットで再現されていました。主役の綾瀬はるかさんがお忍びで校祖のお墓参りに来られた時はご案内もさせていただきました。そしてドラマの効果で訪れる方が増えたので、新島旧邸も整備を行い、またお墓への参道も大学所有の部分においては本学で整えました。ドラマの中で「同志社大学」という校名をそのまま使っていただけたことは、実在人物をモチーフにしたノンフィクションのドラマであるとはいえ、大変ありがたいことです。今後も新島襄の遺志を継ぎ、地域と連携を深めながら、より良い研究・学習の場を提供していきたいと思います。

「横川 隆一 教授
「横川 隆一 教授

同志社大学

副学長・研究開発推進機構 機構長
横川 隆一 教授
所在地:京都府京田辺市多々羅都谷1-3
電話番号:0774-65-7010(京田辺校地総務課)
URL:https://www.doshisha.ac.jp/
※この情報は2017(平成29)年8月時点のものです。